このサイトについて

 

 

このウェブ・サイトの構想の始まりは、筆者がマハリシ総合研究所(現マハリシ総合教育研究所)の本部に在籍していた頃にまで遡ります。それは、未だインターネットが普及する以前のことです。

 

当時、筆者は、マハリシの教えを純粋に保つために何かが為されなくてはならない、そう考え始めていました。超越瞑想の教師(TM教師)といえども、マハリシの教えを正しく理解しているとはかぎりません。教えを誤解し、自身の誤解をマハリシの教えと称して人々に伝えることも十分あり得ることです。誤訳された言葉が、そのままマハリシの言葉として伝えられることも多々あります。私たちTM教師が教えを誤解しているかもしれないのなら、誤解を誤解として認識し、すみやかに誤解を正す必要がある、そのための組織的な取り組みが必要ではないか、そう感じていました。

 

それで、或る提案をしたのです。教えに関する知的理解の向上を図るべく、TM教師たちが議論を通じて学ぶことができる場を設けてはどうか、という提案です。それは、理解が不十分な点や誤解しやすい点について、議論の土台となる資料を作成し、その資料にもとづいて皆で議論をし、理解の向上を図ろう、という企画でした。

 

しかし、教えについての議論は不要であると言って強く反対する人がいたため、この企画は実行に移されませんでした。組織の代表と相談し、次善の策を模索するなか、議論する場を設けるというのではなく、一人あるいは数人の有志が作成した文書を参考資料として配布する形にすればよいのではないか、という妥協案が生まれたのですが、それも結局は立ち消えになってしまいます。筆者自身、多忙な実務に追われ、組織的に取り組むべき課題と認められなかった仕事に、時間を割くことができなかったのです。

 

しかし、そのとき筆者のなかにあった想いは、時間が経っても消え去ることはありませんでした。のちに筆者は、思うところがあってTM教師としての活動の一線から退くことになるのですが、一人の学び手としてマハリシの教えを学ぶことに専念するようになったとき、当時の想いが再び頭をもたげてきたのです。やはりマハリシの教えを純粋に保つために何かが為されなくてはならない、そう強く感じるようになったのです。そして、教えを守護するための仕事は教えを学ぶ一個人であってもできるのではないか、そうしてTM運動の一翼を担うことができればTM教師としての自身の責任と使命も果たせるのではないか、そう考えるようになったのです。そんな想いで書き溜めていた文章を公表する場として設けたのが、このウェブ・サイトです。

 

マハリシは、教えを純粋に保つことの重要性を強調しています。教えから得られる恩恵は、その純粋性にかかっているからです。教えから最大の恩恵を受けるためには、学び手は教えを純粋な形で受け取る必要があります。教えを伝達する者が教えを純粋なままに伝達すべきであるのは勿論のこと、教えを学ぶ者も、教えを純粋なままに受け取らねばなりません。教えを自分の方に引き寄せ、自分にとって都合のよいように解釈したり利用したりするのではなく、謙虚に教えに近づいてゆき、教えの真実を探る必要があります。

 

しかしながら、教えを純粋な形で受け取ることは、たやすいことではありません。マハリシが指摘しているように、学び手が教えを誤解するのは避けられないことだからです。教えは、誤解され、その誤解によって打ち砕かれる定めにあります。教えは、教えを破壊しようとする者によって破壊されるのではありません。皮肉なことですが、教えを学ぼうとする者、教えを守護しようとする者によって、当人が気づかぬうちに破壊されるのです。

 

教えを学ぶ私たちは、いつ教えの破壊者になっても不思議ではありません。教えの純粋性を損ない、教えを破壊するのは、他でもない私たち自身なのです。そのことが明確に認識されているならば、学び手は、教えを誤解しないように細心の注意を払うでしょう。自分なりの理解に安住することなく、絶えず教えの真実を探究しようとするでしょう。繰り返し教えの言葉に耳を傾け、深く考察し、教えが説く真理に近づこうと努めるでしょう。そして、マハリシの教えを世に紹介する立場にある人なら、常にマハリシの教えに立ち返り、教えの言葉を忠実に伝えようとするでしょう。このウェブ・サイトは、そのようにマハリシの教えを真剣に学ぼうとする人々のためにあります。

 

ただし、ここに公表する文章や翻訳は、筆者自身の学びの途上における副次的な産物にすぎません。マハリシの教えを学ぶ一個人の覚束ない足どりを記録したものにすぎません。なかには誤りが含まれているかもしれません。教えを守護するためと言っている筆者自身が、まったくの思い違いをしており、逆にマハリシの教えを破壊しているということもあるかもしれません。ですから、決して、筆者の言うことを鵜呑みにしないで下さい。みずから教えの言葉に耳を傾け、注意深く考察なさって下さい。これらの資料を賢明に活かし、ご自身の学びに役立てて下さい。できることなら、良き友を得て、共に教えを学んで下さい。

 

このウェブ・サイトが、マハリシの教えを学ぶ皆さんの役に立つことを願っています。

 

2014年11月 小早川知広

 

 

追記:翻訳について

 

 

マハリシは、かつて日本のTM教師に対して、「翻訳は訳者の意識によって規定されます」「改善し続けなさい」という助言を与えました。私たちが教えの言葉をどのように解釈しようとも、それはその時の意識状態における解釈でしかなく、異なる意識状態に到れば解釈が変わる可能性があります。正しいと思われていた翻訳も、実は不適切であった、誤訳であった、と気づく時が来るかもしれません。もっと優れた日本語表現が見つかるかもしれません。教えの翻訳は、一度日本語訳が出来上がればそれで終わり、というものではないのです。

 

日本語に翻訳された教えの言葉に触れたとき、文意が明確に理解できず、原文はどうなっているのだろうと疑問に思った経験のある学び手は多いはずです。しかし、原文が得られなければ、翻訳が適切なのかどうかを確認しようがなく、疑問は解消されないまま残ります。しかし、対訳形式の資料があれば、原文と照らし合わせてマハリシの教えを学ぶことができます。英語に精通している人であれば、訳文で学ぶよりも原文で学ぶ方が深く正しく理解できるかもしれません。教えの翻訳の仕事に従事している人なら、その場で訳文の是非を調べることができ、ご自身の仕事に活かすこともできるでしょう。

 

このサイトでは、教えの翻訳の改善に少しでも役立つように、また英語を読解できる学び手の便宜を図るために、マハリシの言葉を引用・紹介する際には、できるかぎり原文を併せて掲載するようにしています。もちろん、英語は苦手なので日本語で学びたいという人は、原文を読み飛ばしていただければ結構です。

 

2018年1月 小早川知広

 

 

筆者略歴

1960年 大阪に生まれる

1982年 超越瞑想(TM)を習得

1984年 TM教師養成コースを修了

1998年 TM教師としての活動の一線を退く

以後、マハリシ総合研究所札幌センター顧問

2004年 当ウェブ・サイトを開設

 

 

Jai Guru Dev

 

 

© Chihiro Kobayakawa 2014

 

【ホームページ】 【購読料・寄付について】

 

 

inserted by FC2 system